酔眼猛老 アベノ惨敗

2013/12/31

昭和の妖怪・岸信介の孫、3代目のぼくちゃん国士、安倍晋三首相が、達筆な唐様で、日本国という大店の店先に、「売り家」と書きそうな気配が、いよいよ濃厚になってきました。靖国神社に公式参拝した彼は、そこに祀られている英霊に尊崇と哀悼の誠を捧げたと、得意満面です。

「尊い命を国のために捧げた戦没者を慰霊するのは、指導者として国際的なスタンダード」と、一見堂々たる正当性の主張です。しかし、ぼくちゃん国士による「アベノ参拝」は、国際政治・外交戦略上は見事なまでの「アベノ惨敗」に終わりました。  中韓は予想通り、声高に居丈高な猛反発です。今回はこれを、お約束の条件反射、国内の不満解消のための反日ナショナリズムの口先煽りと、片づけるわけにはいきません。

欧米の指導者の多くは、尖閣や竹島をめぐる東アジア3国の諍いについて、中韓のいささか異様な反日言動に違和感を抱き、どちらかというと日本にシンパシーを持っていたとおもわれます。それが今回のアベノ参拝で、一変しました。まさしく大逆転です。米国政府はアベノ参拝に対して「失望」を表明しました。「懸念」や「深刻な懸念」ではなく「失望」です。同盟国日本の首相の行動や判断に、こんな言葉を使ったことはこれまで一度もありません。

EUも「アジアの平和にとって何の役にも立たない」と、アベノ参拝を真っ向から切り捨てました。濃やかな配慮と間接的言い回しを旨とする欧州の発言にしては、相当に峻烈な直截的批判です。

よく考えてみればこれはしごく当然な反応だと思います。

ドイツの首相が、ヒトラーやナチス幹部の霊を慰め、英霊として讃えたらどうなるでしょう。ドイツ国内の主要メディアの論調が「方法は大きく間違っていたが、当時の国際情勢からして、ナチスの行動はやむを得ない愛国的な要素もあった」などと言ったら、どうなるでしょう。

ドイツが戦後68年培ってきた国際社会における信頼と信用は、いっぺんに雲散霧消するに違いありません。ドイツはナチスの戦争犯罪とそれに従ったドイツ社会の愚かさを疑うような言説を徹底的に封印・排除し、EUを築き、欧州の指導的役割を担っています。

国際社会は68年前の大戦をまだ忘れていません。それどころか、国際社会の枠組みは未だに「戦後そのもの」だと言っても過言ではありません。「UNITED NATIONS」を国連などといい加減な訳で誤魔化しているのは日本だけです。正しくは「連合国」であり、そこには今でも日本とドイツを敵国とする条項が存在しているのです。

中国が事あるごとに持ち出す「戦後の世界平和秩序」とは、まさしくこの連合国の支配を指すものです。具体的には、P5と呼ばれる米英仏ロ中、戦勝国にして核保有国であり、安全保障理事会の不動の常任理事国であるこの5カ国による支配秩序のことです。

終戦直後の日本に生まれ、日本で育ち、日本の文化と食べ物と酒と日本人を愛する私は、日本国はそろそろ「連合国の敵」「アジア侵略の責任」というくびきから解き放たれ、「平和を愛する豊かな先進国」というポジションを得ていい、と思い願っています。しかし、それは歳月の経過による記憶の風化だけでは、実現されそうもありません。日本が良質な自然と文化、豊かで穏やかな社会を築き、世界の平和と安定に貢献し続けていることを、国際社会にずっと伝え続けるのが、日本の政府、とりわけ首相の大きな責務のはずです。

最近の中韓による理不尽な対日批判には、冷静かつ毅然と反論する必要がありますが、首相自らが、理不尽な反日言説に論拠を与えるような行為に出たことで、国益は大いに損なわれました。欧米の後ろ盾を得て、中韓の反日的政策は、今後さらに踏み込んだえげつないものに質的に転換する可能性が高いと予想されます。

古証文を振りかざしての難癖には、私もむかっ腹が立ちますが、これで嫌中、嫌韓の、安手のナショナリズムが日本国内にはびこれば、それは、難局を反日で凌ごうとしている主席や大統領の思うつぼではないか、と心配です。日本国内の、国士安倍の背後にいる改憲勢力の思惑にも、ぴたりと嵌ってしまいそうです。

戦争で命を落とされた人々への慰霊と、靖国神社への参拝は、全く別の事柄です。死者を悼むという意味では、両者は共通しているという屁理屈もあるかもしれませんが、両者の距離は数十億光年以上離れています。

靖国が英霊として祀っているのは、戦死者と戦争責任者です。戦争指導者が降伏をためらったが故に命を落とした、空襲と原爆の犠牲者は入っていません。非戦闘員は何十万人亡くなろうと、英霊ではないのです。それが国民を戦場に駆り出した国家神道の基本です。未だに先の戦争は八紘一宇、大東亜共栄圏建設のための聖戦だとしている宗教法人が、靖国神社です。ここに、日本国首相が参拝する意味を、じっくり考えたいと思います。

信教の自由は、安倍首相が改定したがっている日本国憲法で保障されています。国民は信条に従って、参拝する自由があります。ただ、為政者は憲法の示す政教分離の原則に従って、特定宗教に与することは許されていません。個人的には如何に靖国神社に傾倒していようと、首相の職にある限り、公的な参拝は「バツ」です。日本国首相の行動について、他の国、特に中韓の差し出口など無用、と言いたい気持ちはわかりますが、こればかりはそうもいきません。靖国参拝なんて日本の勝手でしょ、というわかりやすい暴論を厳に戒める記述が、日本国憲法の前文にあります。

例によって日本語としては稀代の悪文ですが、一読すると、真意は伝わってきます。

「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」

口うるさくて少しずるっこい隣国でも、その存在をそれなりに考慮して、共通の法則にのっとってお付き合いすることが、自国の主権と平等互恵の関係を維持する道だ、と宣言しているのです。

まるで今日の事態を予測していたように。

安倍首相の靖国参拝は、政教分離の原則だけでなく、憲法前文のこの精神にも著しく反しており、違憲です。アベノミクスで景気を回復させたのだから、靖国参拝くらい大目に見ようという空気が、日本国内には流れています。果たしてアベノミクスによって日本の景気は回復したのでしょうか。経済政策も医薬品も、その効果を科学的に確認するには、客観的な「比較検証」が必要不可欠です。

アメリカも欧州も、リーマンショック以来の不振と低迷がまだ続いているなら、いくつかの経済指標は改善した日本は、アベノミクス効果が出ているという、推定は成り立ちます。しかし、米国も欧州も一時のどん底を抜け出しつつあり、日本だけが絶好調なわけではありません。先進国経済の大きな循環の中で、安倍さんが、「たまたま」景気回復期に首相に就任しただけということだって、可能性としては否定できません。

もちろん、震災と原発事故があったとはいえ、あまりにお粗末な民主党の政策運営に比べれば、日銀と財務省をうまく働かせた安倍政権に一日の長があったのは確かです。しかし、アベノミクスなるものの効果は、メディアがもてはやすほどのものかどうかは、はっきり言って何の証拠もないのです。

政権や官僚が流すレトリック(修辞)を、マスメディアがほとんど検証しないまま、そっくり世間に広めている状況は、相当に危険です。アベノミクスでは切り捨てられる若年の低所得層が、ナショナリズムに走り、安倍政権を下支えしているという図は、戦前のファシズムの台頭期とそっくり重なるような気がします。あなおそろし。

2014年はマスメディアの復活再生に望みをつなぎたいと思います。

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