酔眼猛老 その3「オクメン」

2013/8/2

イケメン(男前)がイクメン(子育てパパ)して、やがてオクメン(奥向きを一手に引き受ける専業主夫)に……。悪ノリの語呂合わせで無理やりつないでみれば、今様男子の出世双六には、オクメンでいっちょう上がり、という新ルートも見えてくる。

片仮名で書く主夫の「オクメン」が増殖する一方で、漢字で書く「臆面」は激減している。各界指導者の「臆面も無い振る舞い」だけが近頃やけに目につく。

臆するとは気後れすること。臆面とはそうした様子、表情や態度を指す。臆面というやつはもともと、かなり複雑微妙にして厄介な存在と言われている。人は誰も臆面を備え持っているが、それをやたらに表に出すと、「意気地無しの臆病者」とさげすまれる。逆にそれを封印してバリバリ行動すると、「いけしゃあしゃあと臆面もなく」とそしられる。

「KY=空気が読めない」がはやり出したころから、集団や世間の大勢におもねって「うまくやる」ことを無上の価値とする風潮が、日本社会の深層に澱み始めた。そのいやな「空気」が、人の心からささやかな臆面を奪い去っているのかもしれない。臆面の持つプラスの側面=良心に由来する穏やかな自制が、社会から消えてゆけば、権柄づくのゴリ押し、計算づくの居直り、慾得づくの鉄面皮などが、跳梁跋扈するのは、世の習いだろう。

まるでその先駆けのように猛老子の酔眼に映るのは、甘利明・経済再生担当大臣である。ご存じ自民党・商工族のドン、最近はエネルギー(電力)族の重鎮でもあると聞く。その甘利大臣が、7月30日に泉田裕彦新潟県知事と会談した。

テーマは柏崎・刈羽原発の安全審査申請問題。泉田知事は、東電の取締役会が、同原発6、7号機の安全審査を原子力規制委に申請すると、地元の了解を得ずに決めた事に、強く反発している。

泉田知事の姿勢について、甘利大臣が閣議後の記者会見で「規制委の安全審査を受けることが即再稼働ではない、(知事の反発は)何か誤解があるのではないか」という趣旨の発言をしている。それを聞いた泉田知事が、大臣との会談を望んだようだ。

会談では、大臣が知事に東電の審査申請を容認するように求め、知事は新しい安全基準と審査の問題点と、東電の姿勢への不信を伝えた。双方とも「すれ違い」に終わったとしているので、あまり実のある議論にはならなかったとみられる。

この会談のどこが臆面もないかと言えば、甘利大臣が国務大臣としての所掌とは直接関係ない原発問題で、まるで東京電力に肩入れしているかのように、地元知事に物申している点である。

2007年、柏崎・刈羽原発は、中越沖地震でかなりダメージを受けた。これは至極当然の結果である。東電が近辺の活断層を調査して導き出した基準地震動=耐震設計上は、これ以上の揺れは考えなくてもいい、およそ現実にはありえないほどの想定最大地震動の、何と6倍もの強い揺れに襲われたのだ。あちこちに傷を負って当たり前である。

問題は東電の活断層評価が極めて杜撰で、実際に動いた断層の長さは想定の8〜9倍もあったことが判明していることだ。本来なら、全国の原発について、想定している基準地震動の再評価と、抜本的な安全策を指示すべき所管大臣、当時の甘利明経産相は、事業者の自主性を最大限に尊重してか、特段の強い措置は講じなかった。

東電自身や一部の全国紙は、想定外の揺れだったが、多重防護のおかげで、トラブルは思いのほか軽微だったなどと、臆面もなくうそぶいた。この時、全国の原発について、徹底的な点検と、地震や津波への備えを厳しくチェックしていれば、福島第一原発の悲惨な事故は起きなかったかもしれない。

福島原発事故の真因が解き明かされ、政策的な責任の追及がなされるならば、甘利明氏は間違いなく「超A級戦犯」に擬せられるポジションにいたのである。 その人物が臆面もなく、閣僚として東電擁護の発言を続けていることに、容認しがたいほど著しい違和感を覚える。知的財産権の問題では、立ち遅れていた日本の制度と戦略の整備に貢献した政治家が、何故にかくも東電の意を汲んで……。

あまり(甘利)に臆面なきを憂うる猛老子は、今宵もまた酒を汲む。

このページの上に戻る