酔眼猛老 その2

2013/4/1

=何やら厳かなゲーテの言葉がページトップに鎮座しているわけ=

◆生き物を大きさや形で分類しようとすると、とんでもないことになる。同一種の植物でも、寒冷地と暖地では10倍もサイズが違うし、葉の形もうり二つではない。融通無碍、千変万化の自然界は、人間の都合による安直な区分けを許さない。

◆花など生殖器官の形は、環境や個体による差があまりない。それを基準に、やや強引な線引きで種を分類したのが、系統分類学の父、リンネである。生物の名前の付け方、命名法を確立し、現在の分類学の基礎を作ったリンネの業績に文句をつける人はまずいない。

◆しかし、同時代に生きたゲーテはかなり批判的だった。外見は似ても似つかないイモムシとチョウが同じ種であるように、生き物はいつも変幻自在、机上の基準に何とか当てはめても、命の実相を映すことにはならない。科学者でもあったゲーテは、リンネの方法を「死の普遍」と評した。

◆昆虫は幼虫、さなぎ、成虫と、成長過程で姿を変える。人間も成長・成熟に伴って、プロポーションは変わる。中高年が20代と同じ体形である必要はない。やせていれば美しく、細身なら魅力的だという神話が、粗悪な中国製ダイエット食品による悲劇を生んだ。成熟や個性という生命のダイナミズムを軽んじると、ゲーテのいう「死の普遍」におちいる。

(2002年7月2日付日経新聞朝刊1面コラム『春秋』より)

 

猛老子は、10年も前から、老化を成熟と言い張るもっともらしい論拠をあれこれ探し、「社会の公器」を自称する新聞の紙面を使って、自説の流布をたくらんでいた。残念ながら、知の巨人、ゲーテの力を借りてもなお、その主張は広く世に受け入れられたとは言い難い。

ならば、こうつぶやこう。「それでもヒトは死ぬまで成熟する」

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