わが被曝と晩発障害の記 その2

2013/3/5

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再発を発見したのは自分自身である。照射治療後の経過観察で通っていた医療センターでは、耳鼻咽喉科と放射線科で、それぞれ内視鏡で喉頭の様子を調べていた。

主治医がいる耳鼻科では、患者には内視鏡の画像を見せない。放射線科の医長は、患者にも内視鏡の画像をリアルタイムで見せていた。ある日、私は聞いた。「赤くなっているのは再発ですか」。医長はさらりと、「そうですね」と答えた。

すぐに主治医に問いただした。「再発をなぜすぐに告げなかったのか」と。その答えは、日本の医療が抱えている根源的な問題を、凝縮したものだった。

「再発したら、後は喉頭の全摘出手術しかありません。声を失います。それまで少しでも長く、普通の生活を続けた方がいいと思ったのですが……」。

この主治医は、全く悪気はなく、私の今後を考えて、せめて一時期の安らぎをはかったのだと思う。おおらかな人格者といえるのかもしれない。でも、大きな勘違いをしている。

再発後にどんな治療法、闘病生活を選ぶかは、患者本人が決めることだ。それは人生の選択でもある。医師は患者に選択肢を提示すればいい。選ぶのは患者である。あえてえげつない表現を使えば、医師ごときに、人生を勝手に決められてはたまらない。だいいち、再発後の治療法は、喉頭の全摘出だけではない。私は別の選択肢があることを知っていた。

全摘出手術は、確かに人生を大きく変える。飲食したものを呑み込む時、気道にふたをしてそれらが気管支や肺に入るのを防ぐ器官を喉頭蓋と呼ぶ。全摘手術はこれもそっくり切除する。

食べ物が肺に入れば、肺炎になるだけでなく命が危うい。そこで、気道は縫合して閉じてしまい、空気は口や鼻からではなく、胸の上部にあけた穴から、直接気管支、肺へと送ることになる。声帯も全部切除するから、当然、声を失う。入浴から、呼吸、会話まで、日常生活では、相当なハンディキャップを背負う。中でも、声を失うことは、取材して記事を書く記者にとっては、一大事だ。

道を使って空気の振動を作り出す「食道発声法」を身につければ、生活の不便はかなり軽減でき、職業人として活躍している人も多い。漫才のコロンビア・ライトさんは、喉頭の全摘出手術後、食道発声法を身につけ、がんの早期発見と手術後のQOL、生活向上の必要性を説いて、全国を行脚された。患者同士が助け合いながら、食道発声法を身につける「銀鈴会」の活動も、心強い存在だ。喉頭の全摘出後に、発声を補助する方法としてほかに、笛式、電機式など、器具を使う方法もある。

しかし、私は、再発したら、声も、気道も、喉頭蓋も一部保存できる手術法、「喉頭の垂直部分切除」を受けようと決めていた。当時の日本では、術者は多くはなかったが、再発を知ってすぐに転院の準備を始めた。

垂直部分切除こそ最良の選択だという放射線科の医長からは、全面的な協力を得た。画像や数値データも含めて、私の医療記録をそっくり揃えて、転院前に渡してくれた。放射線科の医長からは、その後も年に1,2度電話をいただく。晩発障害の発症を気遣ってのことだと思う。医は仁術というのは、こういう先生に当てはまる。

私は国立がんセンター東病院へ転院した。幸い、仕事でお世話になり知己を得ていた、同センターの名誉総長、杉村隆先生から、日本で一番の部分切除手術の名手、同センター・東病院の海老原敏副院長を紹介され、手術を受けた。

手術は成功し、私は20年後の今、ほぼ毎晩、妻と晩酌を汲み交わしながら、元気で生きている。声帯の4分の3を切除したので、声の大きさも透明度も、それに応じて減少した。しかし、残った自前の声帯で発する、どすの利いた悪声を、旧友たちは手術前と大して変わらないと評する。

最近、鼻血が止まらないので訪れた近所の耳鼻科で、海老原医師に喉の手術を受けたと告げたら、その医師に、内視鏡で名人の手術跡を是非見させてくれと頼まれた。たぐいまれな名人に出会えた幸運をかみしめると同時に、運しだいで医療の質に大きな差が出る現実に、少し苦いものも感じた。

その3に続く

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